年間第15主日2021年7月11日

 皆さん、今日の三つの朗読のメッセージは、神様が私たちに神様の御言葉を世界中に広める道具となる事を望んでおられると言う事です。この神様の御言葉は今も生きています。ですので、私たちは日々の生活の中で、常に神様の道具であると言う私達の使命を今日、再確認するようにしましょう。

第一朗読では、アモスの召し出しについて語られています。アモスは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者でした。紀元前750年頃ごろ、彼は預言者になるよう神様から呼ばれました。アモスは、社会の腐敗を非難する一方、人々に神様の大きな愛を述べ伝える使命を受けました。「主は家畜の群を追っている所から、私を取り、「行って、わが民イスラエルに預言せよ」と言われた。皆さま、預言者アモスは、王の祭司アマツヤから迫害を受けました。しかし、アモスは神様への忠誠の道を選びました。皆さん、私たちはどちらの道を選ぶでしょうか。私たちも神様への信仰と愛に忠実であり続けましょう。そうすれば、私たちも神様を証しする事の大切さを理解する事が出来るでしょう。

 皆さん、今日の福音も、また、私たちの使命について教えています。今日の福音書は、十二人の弟子たちを宣教に送り出す事で始まります。「イエスは十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わす事にされた。」と。ここに私たちがもっと意識しなければならない真理があります。例えば、洗礼によって、私たちは信仰を分かち合い、人々に神様の愛の良い便を告げ知らせ、人々がイエス様をより良く知るのを助けるように招かれています。これが私たちの、皆様の使命です。イエス様が弟子たちを「二人ずつ」遣わされた理由も理解できます。「2」は友愛の数です。二人で居てこそ証し出来る事があります。つまり、彼らが使徒的交わりの中で生きている姿、兄弟愛の姿を実際に見せる事が出来ます。聖グレゴリウス1世は、「お互いが愛し合う事を証しする事が、イエス様の弟子たちに求められている、最も大切な説教である。」と言いました。イエス様は私たちを二人ずつ送り出す事によって、同時に私たちに悪魔に対抗する力を与えてくださいます。 ギリシャ語の語源が示すように、悪魔、つまり、Diabolisとは、分裂、分離させる者と言う事を意味しています。私たちが伝えなければならない力とは、神様への信仰と神様から受けた愛を分かち合う事によって一致する力であると言うのは、この為です。

私達を二人ずつ送ると言う主の願いを表す御言葉がもう一つあります。「2人、または3人が私の名によって集まる所には、私もその中にいるのである。」と。皆さん、私たちが伝えなければならないのは抽象的な教義ではなく、人です。つまり、キリストその人です。弟子たちの間に交わりがある時、イエス様はそこにいます。キリストの愛によって一致する時、キリストが実際に今いらっしゃる事をもっと良く感じましょう。

 皆さん、神様の御使いとして私たちが他の人に伝えなければならないメッセージは、私たちへの祝福に満ち溢れる神様の愛です。この愛と、キリストの今もいらっしゃる事が私たちの唯一の宝たからです。

 皆さん、私は先週の日曜日に言ったように、ミサの終りに、司祭は派遣の祝福の中で、神様の名において私たちに呼びかけます。その後あと:「ミサ聖祭を終わります。行いきましょう。主の平和の内うちに。」と唱えます。皆さん、これは日曜日に教会を出て家に帰って休む事だけを言っているのではありません。神様から与えられた使命を果すようにと勧められています。

 今日の福音のように、イエス様は今日、私たちを送って、私たちの生活と御言葉を通してイエス様を証しするものとしてくださいます。神様と出会であった喜びが私たちの中から消きえないようにする為に、私たちはそれを伝え、兄弟たちと分かち合う必要があります。ですから、私たちが「神に感謝」と応える時、私たちは、心から願いましょう。日々の生活を通して神の愛の真実と今も生きているイエス様を、活き活きと伝える事の出来るキリスト者になる事を。アーメン。