年間第13主日2021年6月27日

 皆さま、桜の木が神様について語りたい時、桜の花を咲かせます。太陽が神様について話したい時、素晴らしい朝日や夕焼けを見せてくれます。空が私たちに神様について語りたい時、昼は晴れ渡り、夜は星の輝きで満たされます。空の鳥が私たちに神様について話したい時、競い合うようにさえずり歌います。では、人が神様について語りたい時、どうにすればよいでしょうか。すべての人にもっとよく神様のことを理解してもらうには、どのようにすればよいでしょうか。最初に思いつくの言葉はかもしれません。 言葉によって、私たちはいつでも神様について誰とでも話す事が出来ます。しかし、今日の聖マルコの福音書の一節は、神様についての最も良いことは「行い」によって語られることを理解するように私たちに求めています。神様御自身は私たちにより多くの「行い」と、より少ない「言葉」を期待していることを理解しましょう。皆さん、私たちの「態度」や「行い」が、神様のことを最もよく物語るのです。例えば。会堂長ヤイロはイエスを見ると、足元にひれ伏して、しきりにに願った。とあります。ヤイロはイエス様の足元にひれ伏して、その後でイエス様に話しかけました。娘を癒したのはヤイロの言葉ではなく、信仰深い態度を示した彼の強い意志によるのです。イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい。」と会堂長に言われました。次に十二年間も出血の止まらない女が、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエス様の服に触れました。彼女を癒したのは言葉ではなく、イエス様なら治して頂けるという強い信仰心と行動です。イエスは言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」と。

 神様について教えてほしいと求める人々に、私たちは何を示さなければならないでしょうか。言葉でしょうか?、「行い」でしょうか?。もちろん、「行い」です。さらに言えば、私たちの「行い」によって「愛と赦し」がもたらされなければなりません。たとえ、相手があなたを傷つけても、あなたは善を行わなければいけません。たとえ、他人があなたを憎んだり、軽蔑したりしても、あなたは彼らを愛さなければなりません。傷つけられても、傷つけられても、あなたはその人に良くしなければなりません。私たちは、隣人たちから、侮辱や無礼や誹謗中傷を受ける事があります。しかし、その苦しみを耐え忍ぶなら、これこそ神様の前に大きな恵みです。あなたは無償の愛を神様から受けました。ですから、あなたも無償の愛を隣人に与えなければなりません。今日の福音書の女性のように、無関心で不信仰の群衆の中に勇気をもって入り、主が私たち人間のために成し遂げてくださった、そして今なお行っているすばらしい働きについて「行い」をもって語りましょう。私たちは「あなたたちが信じている神様はなんと素晴らしく美しいのでしょう。」と多くの人に言ってもらえるような心に残る「行い」をしましょう。

 聖母マリア、聖ヨセフの助けを求めましょう。そうすれば、彼らの強力な執り成しを通して、私たちは神と神のすばらしい働きについて生きた証を与える生きた人々となることができます。アーメン