キリストの聖体(2021年6月6日)

皆さん、こんにちは。今日はキリストの御聖体の祭日です。
 今日の祭日は聖木曜日と関係があります。イエス様は聖木曜日に御聖体の秘跡を制定されました。最後の晩餐のことです。今日の福音は私たちに語っています。イエスは、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさいこれは、私の体である。」また、杯を取り感謝の祈りを唱えて彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人の為に流される私の血、契約の血である。」と。そして、イエス様がこれらの言葉を述べた後、パンとぶどう酒はイエス様の肉と血に変わりました。
 なぜイエス様はパンとぶどう酒というものを使ったのでしょうか。それは、私たちがまさに神様の愛を理解するために、イエス様はパンとぶどう酒を使ったのです。イエス様は素朴なものを選びました。パンとぶどう酒は当時の人々にとって日常的な食べ物です。また、当時はパンとワインは和解の食物でもありました。紛争の当事者は、友愛のしるしとして、パンとワインを使用しました。たとえば、創世記には次のように書いてあります。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された、いと高き神がたたえられますように。」
 もう一つの理由でイエス様はこのパンとワインを使います。すなわち、イエス様の御体と御血で毎日私たち自身を養うのです。私たちはパンとワインをいただくことによって、それは私たちの血と肉になります。イエス様はそのことを望んでおられます。言い換えれば、神様は私たちの心の中に住み、私たちがいつも神様の近くにいることを望んでいます。イエス様がまずその最初の一歩を始められます。イエス様の目的は私たちの心の中に入ることです。これらのことは、私たちではなく、イエス様が始められるのです。イエス様は私たちのために御聖体という犠牲を捧げて下さったのです。もちろん、イエス様だけが私たちの人生にとっての本当の意味でのパンを与えることができます。そのパンとはイエス様の御体です。イエス様は、私たちが御聖体、つまりイエス様ご自身を受け入れ、私たちが兄弟姉妹とお互いに心を開いて理解し合うことを望んでいらっしゃいます。
 開かれた心を持っているということはどういう意味でしょうか。もちろん、イエス様は私たちを愛しました。だから私たちは愛することができます。イエス様は私たちを許して下さいました。だから、私たちも許すことができます。イエス様は私たちのために犠牲になりました。ですから、私たちも隣人のために犠牲になることができるのです。御聖体が私たちをつなぎます。そして、御聖体は神様と私たちを結びつけます。神様と一緒にいることは大きな喜びです。御聖体が私たちを愛へと駆り立てます。同時に御聖体は私たちを愛の道具に変えます。アシジの聖フランシスコは「平和の祈りの中で」次のように言っています。「神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を。」イエス様は私たちに、同じように愛することを求めています。愛はウイルスのようなものです。真に愛に生きている人がいれば、その愛は他の人にすぐに広く伝わります。愛する皆さん、イエス様は私たちに「生きている愛の炎であれ」と呼びかけています。世界に私たちの愛の火を放ちましょう。
 どのようにすれは私たちは「生きている愛の炎」になることができるのでしょうか?最後の晩餐でイエス様は弟子たちを集めて、その前に跪き、弟子たちの足を洗いました。これは、最も美しい愛の表現です。皆さん、御聖体は偉大なな奇跡を起こすことができます。御聖体によって不治の病でさえ治すことができます。
 愛する皆さん、神様は私たちにも毎日、奇跡を行なっています。私たちはそれに気付くことが必要だと思います。つまり、御聖体としていらっしゃるイエス様のことです。イエス様を私たちの心の中に頂く時、私たちはそれがイエス様だと分かることができます。
聖母マリア様と聖人たちに見習って、神様に賛美を捧げられますように。アーメン。